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心の回診

第五十六回

藻岩山にこぶしの白い花が咲き、例年より遅い桜が咲き始めた。桜の開花宣言は、東京は靖国神社の基準 木である三本の内の二本に数輪の花が咲いた時で、札幌は植物園の桜が基準になるようだ。私の桜の開花宣言は隣の中西さんの庭の桜が咲いた時と決めている。 それは見事な枝振りで天に向けて左右に枝を張り、我が家の二階の窓から眺める満開の桜は、息をのむ程美しい。お隣のこの桜を特別の思いで眺めるようになっ てどれ程になるだろう…。六才の息子が脳腫瘍で失明した時も、夫が肺癌で亡くなった時も、仲の良かった弟が54才で逝き急いだ時も、それはいつも満開の桜 の季節だった。満開に桜に悲しくて泣き、立ち上がる勇気を貰って来た。

息子が書いた「母さんをたのむ」という詩集の中にこんな詩がある。
「僕の目の奥に」いくちゃん/いくちゃん/母が2階で僕を呼んでいる/ナンダ!/ナンダ!/見てごらん、見てごらん/桜だよ/きれいだよ/母と並んで桜を 見た/もも色の桜の花が/僕の目の奥に見えた/この時、母も僕も/僕の目が見えない事を忘れていた。

振り返って、私の人生は結構ドラマチックな波乱万丈の道のりだった。でも、いつも目に見えない大きな力が道を示してくれた気がするし、夫が遺して行った仕事が、いつの頃からか天職と思えるようになった。

この間、丸井デパートで開催されていた相田みつを展に行って来た。山のよう に積まれた色紙の中で「しあわせは/いつも自分の心がきめる/みつを」この言葉がストレートに私の胸に飛び込んで来た。娘は幸せな家庭を持ち、私が杖と なっていた長男がいつの間にか私を支えてくれている。次男は自分の目標に向かって真直ぐ歩き始めた。幸せは「心で」決めるのではなく、「心が」決めるの だ。私の心が「お前は今幸せだ」と言ったら、幸せなのだ。そうだ…今年は桜を見ても泣かない私がいた。

(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)