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心の回診

第五十四回

日曜日の家族が寝静まった夜です。私は今、スタンドの灯りの下でこの原稿を書いています。私にも子供 の頃がありました。その子供の頃からの悪い癖が、何事も追い込まれないと出来ない性分だと言う事です。学校の宿題もギリギリ、高校受験の勉強もラヂオを聞 きながらのもので、随分叱られました。後がないところ迄追い込まれないと腰を上げないのです。仕事にしても早めに片付けて行けば楽なものを期日ギリギリ迄 追い込まれないと集中出来ないのです。今まさに、この原稿と、パウロレターの原稿と、年に一回入院患者さんの献立に登場する「会長献立」のメニューを考え る、3つの宿題を抱えてもがき苦しんでいます。よくもまあこんな性格で、3人の子供を育てられたものだと変な所で感心してしまいました。

1日24時間は、神様が全ての人に平等に与えて下さった時間です。だから大切に使わなければと言う思 いは強くあります。でも精神はさっぱり成長していないのです。勝手に年の方が経過したのであって、心は10代の頃と同じです。でもふと思いました。落し物 をした時、人間は真剣に探します。「お金を落とした」「鍵を失くした」と。でも時間は二度と再び戻っては来ません。時間は落としても音がしないし、目には 見えないので失った事に気付かないのです。「まだ時間がある」「明日がある」と1日が24時間以上、一生が無尽蔵にあるかのような錯覚に捕われているので す。

私の人生は、自分で脚本を書き、好きなように演じて行けば良い訳だけど、後悔する人生は嫌です。大好 きな石原裕次郎の歌にある”我が人生に悔いはなし”自分に納得の行く人生でありたいと思います。そう言えば、時間を大切にする人は、遊ぶ事も休む事も実に 上手で、人生をエンジョイしているようです。「よし、小さな時間、こぼれる時間を見過ごさないように大切に生きて行こう…」。眠い目をこすりながら自分に 言い聞かせてました。

(医療法人中山会新札幌パウロ病院会長)