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心の回診

第八十八回

私は一姫二太郎、三人の子供に恵まれました。姫は幸せな家庭を持ち、二太郎は父親と同じ道を選び、一太郎はいつも私の側にいます。何故側にいるの かって?彼は6才の時に脳腫瘍の大手術を受け失明しました。気の毒に…とよく言われますが「命だけは助けて下さい」と神様に祈り、その通りに助けて頂いた 命です。もし正常な目だったら…と思う事はありましたが、うらんだり嘆いたりしたことは無いのです。生きて側にいてくれることが只々有難いのです。そして 此の頃この息子のお陰で、私が守られ、生かされている事が分って来ました。私と息子は凸凹コンビ、目が見える私が誘導はしますが、記憶力の減退も含めて彼 が秘書代わり、大切な事を記憶してくれています。電話のやり取りも「たしか○日って約束を入れていたよ」なんて、助けられるのは日常茶飯事の事。

元旦の朝、新雪を踏んで私達は教会に行きました。人、一人がやっと歩ける細い一 本道を私の肩に息子がつながって歩きました。183㎝、80㎏の息子の体が重くて、「重いね」と思わず言葉に出してしまったのです。「ごめんね、ぼくがお 母さんを助けないと駄目なのに」そして、つながっている両手で肩を揉んでくれました。「大丈夫だよ」と言ったものの、「なんて馬鹿な事を言ってしまった の…」と教会ではずっとこの事を反省しました。この息子のお陰でどんなに慰められ、救われて来たか知れないのです。凸凹コンビでずーッと頑張って来まし た。でも今は、助けて来た母親の方が助けて貰う方が多くなって、立場が逆転です。息子が小学一年生の時の詩(「僕の目の奥に」)です。――郁ちゃん/郁 ちゃん/母が二階でぼくを呼んでいる/ナンダ!/ナンダ!/桜がきれいだよ/母と並んで桜を見た/ぼくの目の奥に桃色の桜が見えた/はっきり見えた――人 間、完全な人などいない。心で桜を見る事のできる息子と春を待っている私です。